小学生の「群読」を聞く

金曜日は小学校に行くことが多い

相変わらず小学校の先生をやっているからだ

もう何度、学校に足を運んだろうか、

ようやく児童の顔と名前が一致するようになってきた

今日は授業参観日だった

これまでの学習の成果を保護者の前で発表する

もう、すっかり親心である

上手に発表できるかな、心配だな、がんばれよ

小学生の発表はだいたい全て暗記する

ホントに必要なのかと思えるような数値までスラスラ覚えていく

そういえば、暗記ばっかりだったかもとなんとなく昔の小学生の自分を思い出す

みんな上手に発表できました

意外だったのは、保護者の誰も写真やビデオで撮影していなかったこと

授業だから当たり前かもしれないが、

自分だったら普段と違う子どものがんばりを残しておきたいと思うかも

学校で禁止されているのか、もう子どもが大きくなってそんなにこだわらないのか、

理由は分からなかったけれど、集中して聞けて、集中して発表できることは間違いないようだ

ちょっと考えさせられるなと思った


その後、「群読」というモノをはじめて聞いた

たぶん昔、やる側だったんだと思うが、聞く側ははじめて

群読とは、詩などを大勢で読んだり、1人が読んだり、何人かの人でよんだりすることで

立体的に表現する読み方のことらしい

テーマは「世界が100人の村だったら」、あとで分かったが群読にかなり適したテーマ

聞いている途中から、不覚にも涙が出た

その迫力、ライブ感、立体感、ハモリ感、体がブルっとする感じ、心に届く感じ

回りを見ると、保護者も泣いている人が何人もいた

これは、なんだろう・・・

小学5年生の声だから、密閉された教室だから、詩がよかったから、目の前から声がダイレクトに届くから

理由を考えるより、感動が大きかった

これは、ビデオでは味わえないと思う

またいい「経験」ができた








 

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