Daily Dose of Cute: A bunch of Custom STRIDER bikes at Kumamoto Castle, Japan!
ってアメリカのstrider本社の公式フェイスブックページにてカープっこREBOライダーズが紹介された。カープっこREBOライダーズもいよいよ世界へ。
ストライダーエンジョイカップ熊本ステージ2日目の朝、チームのみんなと一緒に熊本城に行って来た時の様子。
ちょうど熊本城おもてなし武将隊による開門イベントの時間だったので、みんなで一緒に参加。
ストライダーキッズ達のお相手をしてくれた侍は、加藤家三傑が一人、庄林隼人一心殿。
大学の時、友人と二人で信長の野望シリーズを3日間寝ないでやり続けた私だが、全く知らない。
「今日が初出陣でちょっと緊張しているでござる」ということで口数は少なめながら、
「うきぺでぃあで3行ぐらい載ってるから後で調べてみるのじゃ」というお茶目な一面も。
ストライダーキッズたちがこれからレースに出場するということを話すと「頑張るのじゃ」と応援してくれた優しい現代のサムライ。
この応援のおかげもあり、みんないい成績を残すことができたよ。お相手してくれてありがとうございます。
庄林 一心(しょうばやし かずただ、生年不詳 – 寛永8年5月14日(1631年6月13日)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。名字は荘林、城林、生林とも。豊後守、伯耆守、隼人佐。庄林隼人の通称で知られる。はじめ摂津国高槻の国人領主・荒木村重の家臣だったが、荒木氏没落後に仙石秀久、加藤清正にそれぞれ仕えたとされる。飯田直景、森本一久とともに加藤家三傑と呼ばれる。前述の2人に比べ家臣となったのは遅かったが、清正の信頼は厚く、先手の大将として朝鮮出兵の第二次晋州城攻防戦では晋州城への一番乗りの手柄を得た他、天草一揆討伐などでも活躍し、朱槍を与えられたという記録が残る。寛永8年(1631年)死去、墓所は熊本市の禅定寺。なお、子は加藤氏の改易後に熊本藩主となった肥後細川氏に1380石で仕えた。
wikipediaより
ふーん。
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